退任・退職後の競業避止義務の有効性

会社は、営業秘密や独自のノウハウを守るために、退任・退職した取締役・従業員に対して、会社と同種又は類似の事業を営む会社に転職したり、役員に就任したり、自らその事業を営んだりしてはならないという義務(競業避止義務)を課すことがあります。しかし、この競業避止義務は、個人の営業の自由及び職業選択の自由(憲法22条1項)に照らして、公序良俗(民法90条)違反により無効と判断されることがあります。

どのように有効・無効の判断がなされるかというと、(1)会社側に守られるべき正当な利益があるかどうか、(2)在任中・在職中の地位がどのようなものであったか、(3)地域的な限定があるか、(4)禁止される期間の長さ、(5)禁止される行為の範囲、(6)代償措置が講じられているか等の事情から、「会社側の正当な利益を守るという目的に照らして、個人の自由に対する制限(競業避止義務)が、必要最小限の範囲にとどまっていると言えるかどうか」という基準によって判断されることになります。以下、上記の(1)~(6)について順番にご説明します。

(1)会社側に守られるべき正当な利益があるかどうか

不正競争防止法の要件を満たす「営業秘密」や、会社が築き上げた独自のノウハウが、競業避止義務によって守られるべき正当な利益であると認められています(東京地判平成20年11月18日、東京地判平成22年10月27日)。また、もっぱら会社の投下資本により開拓した顧客との人的関係も、守られるべき正当な利益であると認められています。

他方で、業務を遂行する過程において得た人脈、取引先との関係であって、個人がその能力と努力によって獲得したものについては、会社側において守られるべき正当な利益ではないと判断されています(東京地判平成24年1月13日、東京高判平成24年6月23日、大阪地判平成8年12月25日)。

(2)在任中・在職中の地位がどのようなものであったか

前述の会社側の守られるべき利益と、従前担当していた具体的な業務内容との結びつきの強弱が問題となります。例えば、守られるべき利益が営業秘密である場合、対象者が当該営業秘密に触れる立場になかったときには、競業避止義務は無効と判断されています(東京地判平成24年1月13日)。

(3)地域的な限定があるか

会社の事業の性質等に照らして、競業避止義務の対象地域に合理的な制限があるか否かが考慮要素とされていますが、補助的な考慮要素という位置づけにとどまっています。

(4)禁止される期間

会社側の守られるべき利益の性質、個人の不利益の程度、情報・ノウハウの陳腐化等の事情に照らして、適切な期間設定であるかどうかが判断されています。

最近の裁判例では、2年間では長過ぎると判断されています(東京地判平成24年1月13日、東京高判平成24年6月23日)。

(5)禁止される行為の範囲

競合他社への転職や競合事業を営むことそれ自体を広く一般的に禁止している場合には、合理性が認められず、無効と判断される傾向があり(東京地判平成21年11月9日、東京高判平成22年4月27日、東京地判平成24年3月9日)、他方で、禁止する活動内容が具体的に絞り込まれ、それが会社側の守られるべき利益や従前の業務内容等と合理的に関連している場合には、有効と判断される傾向があります。

(6)代償措置が講じられているか

競業禁止に対する代償措置が存在しない場合や存在しても不十分である場合には、競業避止義務は無効と判断されています(東京地判平成21年11月9日、東京高判平成22年4月27日、東京地判平成24年1月13日、東京高判平成24年6月13日、東京地判平成24年3月9日、東京地判平成24年3月13日、東京地判平成24年3月15日)。

なお、会社に対する攻撃的行為が伴っているケースでは競業避止義務が有効と判断される傾向があります。また、いずれの事例においても、文面上明らかに考慮されているわけではありませんが、「競業避止義務を設定した会社の事業規模、体力、予想されるダメージの大きさ」、「転職先企業や新会社の事業規模・生産能力・影響力」等の事情が判断に影響を与えているのではないかと思われます。

以上のとおり、退任・退職後の競業避止義務の有効・無効は、各種の考慮要素を踏まえて、個別具体的な事情に照らして判断されることになります。

これまで、退任・退職後の競業避止義務は、次のような発想で論じられてきました。すなわち、『営業秘密の漏えいは秘密裡に行われて外部に現れにくいため、その証拠を収集し、立証することには困難が伴う。そのため、営業秘密を保護するために、外形的事実によって容易に立証できる転職・競業を一定の範囲で禁止することが必要かつ有益である。』、『営業秘密の漏えいの立証は困難だから、個人の営業の自由及び職業選択の自由を多少犠牲にしても、転職・競業を一定の範囲で禁止することにより、秘密保持を担保しよう』という発想です。

しかし、その「一定の範囲」が不明確であること、個別具体的な事情に応じた判断が必要となること、競業避止義務の定めが文面上広範かつ曖昧な形で規定されるケースが多いことによって、退任・退職後の個人の活動に萎縮効果を生じさせ、また、無用な紛争を生じさせる弊害が生じています。

競業避止義務の鎖は、実際に営業秘密を漏えいしているかどうかに関わりなくその可能性のある起業や転職を前段階で制限してもよい、つまり、無駄に制限することも必要悪として許されるという前提に立ったものですが、現代において、そのような前提が許容されるべきかどうかは疑問です。個人の泣き寝入りは公に行われず、外部に現れにくいため、弊害の大きさが過少評価されているように思います。また、「営業秘密の漏えいは秘密裡に行われて外部に現れにくい」かどうか、起業の場合でもそうか、検証の余地があると思います。

企業の秘密情報の保護は、営業秘密の保護の強化、厳罰化、企業のコンプライアンス意識の向上、秘密保護の新技術、情報管理の啓蒙・企業努力、証拠収集の努力、立証の技術・努力によって守られるべきであり、疑わしきを罰する競業避止義務によって、個人の活動に萎縮効果を生じさせ、紛争を生じさせてしまう弊害のあるルール(競業避止義務)ははっきりと後退させるべきではないかと思います。

2年間の禁止が有効とされれば、他業種で生涯の生計を立てるほかなく、事実上、無期限の禁止とさほど変わりません。いまだ退任・退職後の競業避止義務を一律に無効とすることができないとしても、終身雇用制が崩壊し、人材の流動化が進み、独立起業を促進すべき現代においては、少なくともより明確なルール(代償措置の要件化、失業給付金の受給期間基準)を打ち出すことや範囲を明確に縮小すること(資本金基準、独立起業は対象外とするなど)が必要ではないかと思います。

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